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過去ログ倉庫@秋田ring
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自殺について
138:秋田の名無 7/12 6:51 VjEVg6kcO >130 まず、宗教は一概に悪いものとも言えないんです。 その宗教のおかげで、その人が救われるのなら、支えになるのなら、他の方がそれについて、とやかく言うものではないとも思います。 こんなことを言っている私でも宗教には否定的と言うか、関わる必要性を感じません。 それは色々な事を考えるキッカケがあり、悩み考えて答えを見つけてからは色々な事を知る事が出来、ものの本質を見ることも出来、答えも見つけれるようになったからです。 宗教の捉え方や関わり方を間違えなければ、宗教自体は悪くはないのですが、>>130さんの文章からすると、アナタのお母様は宗教の捉え方や関わり方を間違っているかもしれません。
139:秋田の名無 7/12 6:54 VjEVg6kcO そもそも、基本的には救われるため、幸せになるために宗教に入るのだと思いますが、家族や親戚や友人など、まわりとの関係が良くなるどころか悪くなるようでは何のための宗教なのでしょうか。 御布施といって家のお金を宗教に持っていくくらいであれば、家のことにお金を使う方が現実的に家庭は助かります。 何でもそうですが、お金お金という人(人達)は良い人ではないです。 宗教なら尚更。 そして、脅し。 何々しなければ不幸になるよ、病気になるよ、死ぬよ、など言って勧誘したりします。 信者間でもそんなことがあるようですが、例えば、ある信者が飼っていたペットが死んだりすると、ちゃんと拝みに来ないからだ、等と言われるそうです。
140:秋田の名無 7/12 6:58 VjEVg6kcO 宗教とは「こじつけ」とも捉えれると思います。 「救われる」と「あきらめる」は一緒でもあるのですが、これは人生において必要なことであり、言い方を変えれば「開き直り」と表現できなくもないのですが、これも捉え方を間違えると自分の為になりません。 例えば、治らない、治り難い病気にかかり、薬を飲み続ける生活の人がいたとして、宗教側は「薬をやめて宗教を熱心に頑張りなさい。立てなかった信者は立てるようになりましたよ。アナタも治るかもしれません。」等と言ったとします。すると信者は薬の副作用などに苦しむことは無くなり、ある種の不安が軽くなり気持ち的な面で心は救われるかもしれませんが、病気はやはり医学に頼るべきなのです。 これでは、医学で治すことをあきらめることになります。 宗教の奇跡を期待してはいけません。 奇跡は宗教が起こすものではないのです。 奇跡があるとすれば本当のラッキーや、強く願う自分の心です。
141:秋田の名無 7/12 7:2 VjEVg6kcO 人は考え悩み答えを見つけると、行き着くところに大差はありません。 同じと言っても過言ではありません。 このことは、私が自分で悟った後に知ったことですが、宗教も、私より年輩の方々も、知った(悟った)人は同じことを言います。 勿論、悟ったつもりでいるかもしれないことは、自分でも意識しています。 人間、死ぬまで学ぶものだと思います。 宗教については先に書いたように、関わり方や捉え方を間違えてはいけません。 人生勉強と思い、どこぞの信者さんが置いていった書物を読んでみたことがあるのですが、教えや、配布される書物の意味は、どうとも捉えれるような表現で構成されているようですから。
142:秋田の名無 7/12 7:7 VjEVg6kcO とにかく、幸せになるはずの宗教が、そうはなっていない人が多くいます。 本当に宗教との関わり方や捉え方を間違えていない信者の方は、話してみたり関わってみるとわかるのですが、人として良い人です。 長々と書きましたが、>>130さんのお母様やその他の間違えている信者の方を説くには、こちら側もそれ相応に「ものを知る」事が必要と思います。 しかしながら、マインドコントロール状態にあるのだとすれば、説くのは大変だとは思います。
143:秋田の名無 7/12 7:13 VjEVg6kcO 勧誘してきた場合でも何でもかまわないので、信者に聞いてみて下さい。 「それで(その宗教に入って・その宗教をやっていて)アナタは幸せですか?幸せになりましたか?」 「それでアナタの家族やアナタのまわりの方々は幸せになりましたか?」 と。 ただし、この質問にはちょっと穴と言うか、決定力に欠ける部分があると言えばあると思います。 それは「アナタがそう思うこと、心がけることが大切」というような教えがあるのですが、これは一見すれば自分だけが心がけても意味が無いように思えますが、これを信者一人一人みんなに同じことを言っているわけですから、つまりは「皆が心がけることが大切」ということなのです。 つまりは、先程の質問を信者にしたとして>>130さんのような事になってたとしても、「教えを私のまわりが知らないからだ」とお母様は言うかもしれません。 「皆が心がけることが大切」になっていない、と言うことですね。 しかし、本当に悟っている人はそんなことは言わないでしょう。 人とは、世の中とはそんなものだ、ということを知っていれば、勘違いの自分本位で、ものを言うようなことはしないからです。 相手が知らない事は当たり前、と、そこまで考えれるものです。 そこまで考えれれば、人は余裕を持て、謙虚になれ、物事の本質を見極めれるようになります。 田舎の人にありがちな、人の噂話や、尾びれがついた話や、誤った話に惑わされることもありません。 いくら近所でも他人の事は知っているようで実はちゃんと知らないものです。 知ったつもりになっているだけです。 そんな「知ったつもり」の人から聞いた話を聞いて、皆さんも「知ったつもり」の人にならないよう気をつけて下さい。 あらぬ話をされて傷付く人が、そこにはいるのですから。 話がズレましたが、そういう「ものを知らない人」と話す時は、とにかく、口喧嘩や、憎まれ口や、揚げ足取りをするではなく、本質をついた話をすることです。
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