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働きたいけど仕事がないB
209: 9/24 23:52 NVk00lL 就活は椅子取りゲームである。 決められた椅子の数に、決められた人数で椅子を取り合う単純なゲーム。まさに就職活動と同じシステムなのである。 そこで考えていただきたいのが椅子に座れず溢れた人間が悪いのか、絶対数の椅子数が悪いのか考えていただきたい。 椅子に座れた者は勝ち、座れなければ負け。これはゲームのルールであり、子供の頃から「競争社会」と「学歴社会」を上手に表示した遊びなのだ。 ここで問題になるのは勝った者と負けた者の意識差、正確には勝ち負けよりもゲームに参加する時点での意識差にある。 ここからは思想の部分に突入するから割愛するが、簡単に例えれば主義で説明できる。 絶対数の椅子が少ないのだと主張するのが、このスレに集う負け組「非平等主義」である。 一方絶対数の椅子に効率よく座る努力をするのが「平等主義」であると例えらるる。 プロ野球選手は野球に努力したからプロ野球選手になる、お笑い芸人は下積みを積んだからメジャーになれる、エリートサラリーマンは働きながらも向上心に尽力するからトップ成績を取れる、当たり前の仕組みであり万人に努力が平等で与えられている。 だが「非平等主義者」には理解できない、努力を怠った自己責任を他人に押し付ける。 例えるなら「就職できないのは政治が悪いからだ」や、 「経済が不調だから就職できない」など、 しまいには「ハタラキタイケドシゴトガナイヨー」である。 まるで有能者と対等であるかのような、ふてぶてしい言語であり「椅子取りゲームで負けるのは椅子が少ないからだ、つまり椅子を準備した者が悪い、全員平等に椅子を与えるべき」と、馬鹿げた主張をしているに過ぎない。 こんな人間が良識ある大人と呼べるだろうか、いいえ決して呼べません。 なぜなら椅子取りゲームの核となる椅子数は横波なのに対し、低学歴底辺が椅子を選ぶようになったからであり、より坐り心地の良い椅子を底辺が取り合うものだから無職率や有効求人倍率が悪化したのである。 底辺は底辺の椅子に座れば良いものを、背もたれひじ掛け付きの椅子を狙うものだから就活戦争で連敗記録を刻んでいくのだ。 働きたいなら低賃金重労働で働きなさい。それが底辺の人生なのです。それが身の丈に合った椅子取りゲームなのです。 底辺用の椅子なんか山ほど準備されてます、ハタラキタイケドシゴトガナイヨーなんて言うのは現実が見えない底辺の「平等私感」が狂っている異常者だと判断するしかない。 「ハタラキタイケドシゴトガナイヨー」と主張する人は学歴を提示してごらんよ、低偏差値の高卒か中卒、もしくは三流大卒だらけの統計が明らかになりますから。 「競争社会」「学歴社会」これは日本文化に欠かせぬ必須事項であり、負け犬は自己責任において朽ち果てる至高の社会システムと成っている。 ハタラキタイケドシゴトガナイヨー ハタラキタイケドシゴトガナイヨー ハタラキタイケドシゴトガナイヨー つまり社会不適合者の大合唱であり、底辺らしい非平等主義のマキシマム暴言なのだ。 打開策を講ずるなら椅子取りゲームに勝てぬ底辺らしく、底辺な椅子(仕事)に就けば良い。 底辺は底辺らしく、底辺の職で、底辺らしく、底辺の私生活をするしかない。 だって社会のお荷物に変わりはないもの。
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