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過去ログ倉庫@秋田ring

原発等エネルギー政策について
822: 9/14 9:13
 午前6時42分、所長は前夜想定「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令。
「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」
 安全確認出来次第、戻って事故対応を続けるとの決断。東電が事故翌年に開示したテレビ会議録画には緊急時対策室で所長の命令を聞く大勢の所員が映り幹部社員の姿もあったが、何故か「録音していなかった」
 吉田証言によると、誰かが免震重要棟の前でバス運転手に「第二原発に行け」と指示して午前7時頃に出発。自家用車で移動した所員も居り、事故対応を指揮するはずのグループマネジャー(GM)もいた。
 GMは事故対応をしなくていいのか?

 「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに
1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです」

第一原発には所長ら69人しかとどまらなかった。所長自身が原発は4基位の発伝所がちょうどいいとか、情報が全部自分に集まって、とかアップアップになってたことを吐露していた。情報収集に整理に命令の伝達復命にと人手は幾らあっても足りなかったはず。

 第二原発から所員が戻り始めたのは同日昼頃。この間、第一原発では2号機で白い湯気状のものが噴出し、4号機で火災が発生。放射線量は正門付近で最高値を記録した。この肝心な時に東電は逃げていた。

 それでも所長貴さすがは東電のエライ人、言い訳だけは立派だ。
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