3秒後、自動的に【PC/SPページ】にジャンプします。

(仮)掲示板@秋田ring

秋田なんて、もう大変です。。。
44:安倍晋三は長州の朝鮮人?B 5/19 9:8
△会津若松市の神明通りにも横断幕が…

安倍は「今は会津と長州はお友達ですから」と言ったが、これには伏線がある。
安倍は今年1月22日、施政方針演説の冒頭で山川健次郎(1854〜1931年)を引き合いに出した。
「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は政府軍と戦う白虎隊の一員として迎えました。しかし、明治政府は国の未来のために、彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました」
そう前置きした上で、「あらゆる日本人にチャンスをつくることで、少子高齢化もきっと克服できる。今こそ、新たな国づくりのときです」と訴えた。

白虎隊出身の山川は、戊辰戦争で若松城籠城戦に参加し、薩長を中核とする新政府軍と戦った。戊辰戦争後は才能が認められてアメリカに国費留学。イェール大学で物理学の学位を取得して帰国した。48歳で東京帝国大学総長になり、後に九州帝国大学、京都帝国大学の総長なども務めた。「国の力は人に在り」を持論とし、貧しい家庭の若者に学問の道を開くことに力を入れた。

安倍の意図は明確だ。恵まれない境遇にあっても、才能があれば、あるいは努力すれば活躍のチャンスはあると言いたいのだ。同時に「明治政府(長州藩)は山川(会津藩)に活躍のチャンスを開いた」と言いたいのだ。これが「今は会津と長州はお友達」という発言につながっている。
ただ、長州藩が会津藩に寛容だったわけではない。各帝大の総長を務めた山川は、会津藩出身者では例外的な存在である。会津藩は領地を没収された上、旧藩士は下北半島の斗南藩に移住させられた。現地は過酷な自然条件だったので、苦しい生活をしいられた。

△会場に向かう吉野、菅家、森議員

安倍が18日に福島市で講演したのは、亀岡偉民衆院議員(福島1区、比例復活組)に依頼されたからだ。亀岡は同日、後援会女性の会の会合を開き、安倍を講師として招いた。女性の支持率が伸び悩む安倍にチャンスを提供した格好だ。
9月1日は白河市で石破茂候補が講演した。主催したのは女性リーダーの研究会。安倍が福島市で講演したのは、これに対抗する目的があったと見られる。
講演会の会場には菅家一郎衆院議員(福島4区)、復興相の吉野正芳衆院議員(福島5区)、森雅子参院議員(福島選挙区)もいた。

菅家は会津若松市長を経て、衆院議員になった。東日本大震災のときは市長を務めており、2011年4月に萩市から贈られた義援金2200万円の目録を受け取った。同年7月に萩市を訪問し、野村興児市長に感謝の意を示した。安倍が「今は会津と長州はお友達ですから」と言ったのは、こうしたことも背景にある。
ただ、今年は戊辰戦争150年という節目に当たる。このため、福島県では「あの戦争は何だったのか」「奥羽越列藩同盟はなぜ敗れたのか」ということを検証するムードが高まっている。福島民報や福島民友新聞だけでなく、全国紙(福島面)もそうした連載に取り組んでいる。会津若松市の各所には「戊辰150周年」というのぼりが掲げられており、長州とお友達になろうという空気は皆無だ。

【文と写真】角田保弘
1-

001-051-
[戻る]