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(仮)掲示板@秋田ring

※竹中平蔵は、なぜ逮捕されない?
10:中川昭一は暗○されていた!?@ 3/7 14:55
中川昭一さんはどんな政策をしたんですか?またなぜ暗殺されたんですか?

麻生内閣で財務大臣・兼・内閣府特命担当大臣だった中川昭一 氏が失脚する原因となった有名な「酩酊記者会見」です。

この会見直前に中川氏は昼食をとっています。その場には2名の読売新聞記者、財務省国際局長の玉木林太郎、2名の財務官僚、通訳、そして中川の知人の7名がいたようです。そして6人でワインを一本空け、中川氏もグラス一杯ほど飲んだそうです。しかし大酒飲みで知られる中川氏がグラス一杯のワインで酩酊状態になるなど通常考えられません。

どうやら同席していた読売新聞・経済部の越前屋知子さんという方が、会見直前「会見は面白いことになるわよ」と言っていたようです。会見後アメリカに渡り、現在もアメリカにいるという事で、彼女が中川氏に睡眠薬のようなものを盛ったと噂されています。

冒頭にも書いたように、この会見によって失脚した中川昭一さんは、その翌年自宅二階の寝室で死亡が確認されたのですが、その死亡原因が循環器系の持病の可能性が指摘されたものの、特定には至っておらず、そのため暗殺されたと言われているのです。

それでは中川昭一氏が何をしたのか、リーマンショック直後の2008年10月10日、ワシントンで開かれたG7財務相・中銀会議で、日本は「もっと米国債を買え」と迫られていました。そんな状況で、中川昭一はポールソン米財務長官に対し、「金融危機を甘くみないで欲しい。今回、日本は米国を助けない。米国は今回の危機に対して、自国で処理する事を期待する」と発言したのです。

また2008年10月10日米国財務省でのG7財務相・中央銀行総裁会議においてこう言ったのです。「日本は黙ったまま、世界のキャッシュ・ディスペンサーになるつもりはない」さらに、翌11日の委員会で「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに、1000億ドル融資する用意がある」と言ったのです。

「円」じゃなくて、外貨準備の米国債で、IMFに資金提供しますと、ちなみに、この外貨準備を使った融資は「中川構想」と言われました。この「中川構想」が虎の尾を踏んだと言われているのです。そして先ほどの「酩酊記者会見」の前日、中川昭一の署名によって、「中川構想」が実現し、IMFへ最大1000億ドルの融資がなされたのです。

これまでも「米国債」を売ろうとした政治家はことごとく消されています。中川昭一氏も例外ではなかったという事です。

中川昭一氏が亡くなったのが56歳ですが、実は昭一氏の父親である中川一郎氏も57歳で亡くなっているのです。一応自殺とされていますが、これもまた非常に不審な死であったようです。

実は、中川一郎は旧ソ連とつながっていて、陰ではソ連のスパイとも言われていました。
日本が、サハリンの資源開発に関わるようになった1973年。首相だった田中角栄がソ連を訪問した際、シベリア資源開発の話が出たのがきっかけだったのです。サハリン1

実は、このサハリン開発に絡んでいたのが、当時、科学技術庁長官だった中川一郎氏だったのです。中川一郎は、他国に依存しない、自立した日本の自主独立を目指していたのです。だからこそ、ソ連との長期的友好関係を結ぶべきと考えていたのです。
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