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(仮)掲示板@秋田ring
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※竹中平蔵&小泉純一郎
6:中抜き平蔵=自民党・維新の会 3/8 5:34 ??? 【指定任侠団・稲川会との疎通性】
小泉首相と「暴力団(任侠団)」の縁はかなり昔からのものであり深そうでもある。しかし、この線が隠されている。
「自民党SEXスキャンダル史/中川・橋本・山崎・小泉…」に次のような興味深い投稿が為されていたので転載しておく。
「小泉政権は、神奈川の地元ヤクザと稲川会が、中曽根の政治力と笹川の資金を利用して作った政権だ。だから、不良債権の簿価買い取りなんて話が出てくる。小泉政権は暴力団政権だ。資金の流れは以下だ。暴力団→広告業界→マスメディア。日本遺族会→右翼→暴力団。これがぐるぐるまわってる」。
「この構造を見抜いたのは、中曽根が初めてだ。ゼネコンなんか使って変に足がつくより安全だ。自民党の総裁選の時に、必ず稲川総長にお伺いの使者が来る。古株の議員でなかなか大臣にならないのがいるが、そういうのが、やくざとのパイプ役だ。他に、山口組にも使者がたつなる情報がある」。
小泉の父親は松葉会とは関係深い。松葉会、稲川会、山口組との関係如何。
「週刊誌フライデー(2004.6.25日号)」が独占スクープ「小泉首相の選挙経歴〜選対本部長が元暴力団」を掲載した。証拠写真も撮影されていた。ところが、継続掲載は圧力がかかって、実現しなかった。日本の全てのマスコミがこのことをまるでタブーのように無視してしまった。野党も沈黙した。国会で誰も一度も追及しなかった!
この記事によると、小泉首相の「選対本部長が元暴力団」なる記事となっている。これを世界長者番付で有名な米国の経済誌「フォーブス」(Forbes、発行部数約500万)が取り上げた。この両誌を要約すると次のような記事となっている。
概要「小泉首相は、1969年の衆議院選挙で落選し、1972年の衆議院選に向かう過程で、地元政財界の顔役・竹内清・氏に選挙対策本部長を依頼している。母親と共に訪れ懇願したと云う。竹内氏は、地元の元博徒でその後横須賀市議、神奈川県議、県会議長を務めることになる表の顔と指定広域暴力団稲川会の当時の会長・石井進氏と無二の杯を交わしている裏の顔を合わせ持っている人物である。石井進氏は、故・元自民党副総裁・金丸信氏の辞任に発展した東京佐川急便事件で闇権力のトップとして介在してきたことで世間に知られた。
1972年の衆議院選では、1969年時の選挙戦で概要『“小泉は女子高生をたぶらかしている”、“これが小泉の子よ!”と赤ちゃんを差し出す女が街頭演説で現れ、公衆トイレに“私の子供を返せ!”と落書きされた』等々の『結城純一郎スキャンダル』を廻る中傷がピタリと沙汰止みになった。そういうこともあって初当選する。
竹内氏は、その後連続10回選挙対策本部長を勤め、2001年に引退している。つまり、全12回のうち10回の選挙が竹内清氏の手で仕切られたことになる。小泉と闇勢力との深い関係は、初当選から30年以上の長期にわたって続いている」。
さて、小泉首相と闇権力との深い関係がそれも初当選以来の今日に至るかなり長期にわたってのそれが露呈したが、「クリーン小泉」虚像が剥げ落ちたことになろう。
7:中抜き平蔵=自民党・維新の会 3/8 5:40 ??? 2004.6.5日、れんだいこ拝
「★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ57」の怪傑氏の2009.8.21日付け投稿「裏切られたか・・・・・小泉元首相と稲川会の限りなく灰色に近い関係」を転載する。
幸せな成功のための魔法の杖さんのブログより
ht○p://am○blo.jp/dreamgate/entry-10003777304.ht○l
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小泉首相と稲川会 テーマ:小泉純一郎と稲川会
総選挙の公示が間近となり、あちこちのブログでも選挙がらみの話題が増えてきた。そこで、今回は、小泉純一郎と広域指定暴力団(ヤクザ)である、「稲川会」との関係を取り上げたい。小泉首相とヤクザ組織「稲川会」との関係をスクープしたのは、2004年7月発売の雑誌「フライデー」だった。証拠写真も、もちろん撮影されていた。ところが、継続掲載は圧力がかかって、実現しなかった。日本の全てのマスコミがこのことをまるでタブーのように無視してしまった。野党も黙ったままである。国会で誰も一度も追及しなかった!
このことに、ようやく光を当てることをしたのは、カナダ人の在日ジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォード氏だけであった。彼の本、『改訂版 日本マスコミ「臆病」の構造』から、その当たりのことを紹介しておきたい。
増補・改訂 日本のマスコミ『臆病』の構造
小泉純一郎の選挙対策本部長を長年努めた竹内清は、暴力団「稲川会」の組員だったのだ。一応、前職は「神奈川県議会議長」という肩書きだった。彼は、「稲川会」の故・石井会長と非常に親しい関係にあった。但し、竹内清は、若い頃に足を洗い、堅気になっている。しかし、親分の石井会長に可愛がられ、やくざを辞めてからも出入りしていたのだ。1991年、その石井会長が亡くなった際、葬儀で最初に焼香したのは、竹内清だったのだ!上下関係の厳しいヤクザの世界で、こういうことが問題なく可能だったということは、竹内清自身が、石井会長が存命中から周囲の誰もが認める関係だったということである。
小泉純一郎の選挙対策本部長を連続10回も努めた竹内清は、2001年に、その地位をようやく息子に引き継いだ。「稲川会」は、違法賭博、売春、風営法違反、詐欺などの罪で下っ端にも幹部にも逮捕者を出している広域暴力団で、小泉純一郎の選挙区である、横須賀に本部がある。「フライデー」のカメラマンが撮影した、「稲川会」の構成員名簿にははっきりと竹内清の名前が写っていたのだ。「フライデー」の記者の質問に、竹内清はこう答えていた。「石井さんは黙っていてもやってくれる人でした」。何をやってくれたのだろうか?さらに、今度はベンジャミン・フルフォードが、「稲川会」の幹部(35歳)に小泉純一郎と「稲川会」との繋がりを確認したところ、彼は次のように答えたという。「横須賀では、政治家ならウチと繋がっていないと、何一つ出来ませんよ」。
8:中抜き平蔵=自民党・維新の会 3/8 5:42 ??? ここで言う「繋がる」とは、「票の取りまとめ」、「買収工作」、「裏金作り」などの見返りに行われる、組員が逮捕された場合の実刑の軽減、風俗店許認可への便宜供与、マネーロンダリングのお目こぼし、大型土地買収案件での仲介斡旋などである。民主党もその他の野党も、みんなこのことは知っていながら知らんぷりだ。そりゃそうだろう、そんなことを真正面から突っ込んでいけば、東京湾に自分の死体が浮くか、自宅で首吊り自殺したように見せかけて殺されることがわかっているからだ。小泉純一郎とは、そういう取り巻きに囲まれている日本の首相なのだ。彼は選挙中に地元に一回も帰って来ないことで有名だ。絶対的に当選するという自信の裏付けがあるからだ。
さて、あえてここで冷静に考えてみよう。これら一連のお話が、全く勘違い報道か、あるいは作為のある捏造報道だったということはないだろうか? もし、上記の記事内容が全く根も葉もないニセ報道で小泉純一郎自身が清廉潔白だった場合、当然「名誉毀損」で出版社は訴えられていた可能性はあったはず。が、事実はそうではない。訴えれば、そういう話題を日本中のマスコミに、わざわざ投げ与えるようなことになってしまう。それは、どうしても避けたかったとしか思えないのである。その代わり、小泉陣営や稲川会は何をしたのか?簡単である。問題の記事が掲載されている、雑誌「フライデー」の発売日の早朝、稲川会の若手組員などが総出で、小泉首相の選挙区内のあらゆる駅の売店や書店、コンビニを訪れては、買い漁っていったのだ。おかげで、その肝心の記事を読んだという横須賀市民は数えるほどしかいなかったというわけだ。
ゆえに、結果論的に、上記のお話は、限りなく真実に近いものと思われる。もし、このブログの読者で横須賀在住の方がおられたら、是非、ご意見をお聞かせ頂きたい。
【おまけ】
横須賀と言えば、「米軍基地」で有名である。つまり、横須賀の街は、「米軍基地」のおかげで飯が食えているという人が多いということも事実なのだ。小泉純一郎がアメリカ追従政策を取らざるを得ない理由の一つは、こんなところにもあった。
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ついでながら言っておくと、小泉純一郎は代議士一族の三代目である。祖父の小泉又次郎は、戦前の衆議院議員で逓信大臣(今で言う郵政大臣で)を努めた人物だったが、家業の「請負業」の建て直しのため、やむなく政治家を途中で一旦あきらめた男である。そのため、政治家に戻る未練を断ち切るために全身に刺青を彫ったことで有名だ。
9:中抜き平蔵=自民党・維新の会 3/8 5:44 ??? 小泉又次郎の一人娘の入り婿となったのが、鹿児島県加世田市出身で小泉又次郎の秘書だった、旧姓鮫島純也、後の小泉純也である。小泉純一郎の父親である。
さて、余談ついでに、もう一つ。小泉純一郎の政治資金管理団体「東泉会」の金庫番が、小泉信子。彼女は、小泉純一郎のすぐ上の姉(四つ年上)で、三女である。彼女の許可なくして、1円たりとて動かせないのだ。彼女は、高校卒業後、20歳で父親の秘書となり、父親が亡くなった後は、引き続き弟である小泉純一郎の政策秘書となり、現在に至っている。生涯(今までのところ)独身である。つまり、議員秘書歴通算46年以上にもなり、永田町では彼女に文句を言えるような経歴と度胸のある議員は誰一人としていないのだ。さらに、小泉信子は、政策秘書として国から給与(年間1400万円)を受け取りながら、「川崎タクシー株式会社」の役員に名前を連ねている。しかも、謄本上、彼女は「常勤役員」となっているのだ!ここでの給与は、一切が秘密となっている。川崎市川崎区に本社のあるタクシー会社(最近では不動産業も兼業している)の役員に、小泉信子が就任したのは1964年。
東京オリンピックの年である。このとき彼女はすでに、父、小泉純也防衛庁長官の秘書だったのだ。このタクシー会社は、先代の社長の時代から、長年小泉一族の後援会の大幹部だったのだ。さて、タクシー会社は許認可制なので、新しい営業所の開設や車の増車など、様々な場面で監督官庁とのやりとりが出てくる業界だ。首相の実の姉が役員に名前を連ねているタクシー会社・・・。そして全く勤務実態がないにも関わらず、「常勤役員」として名前を出している政策秘書の小泉信子・・・。怪しい匂いがプンプンしてくるではないか!
参考文献:「無情の宰相 小泉純一郎」文責:ネコペンギン
10:千と千尋の山神隠し 3/8 5:53 ???
小泉進次郎の正体が暴かれる!
2024-09-07 09:19
進次郎がサラブレット????。
小泉一家は朝鮮出身の893がルーツです。
鹿児島薩摩藩の朝鮮部落で調べればわかります。
小泉純一郎の義理祖父は「刺青又次郎」という通り名を持つ暴力団幹部。
父親、小泉純一郎の対策本部長は稲川会幹部の竹内清。
神奈川県では、小泉一家の力で暴力団でも県会議長にもなれる。
父、小泉純一郎は郵政民営化をし、日本国民の金340兆円をアメリカに売国。
竹中平蔵と労働者派遣法を作り、日本国民を貧困にさせ、日本破壊工作活動をし
日本国の失われた30年を作り出した主犯人物。
そして進次郎の母親は李香蘭。日本人ではありません。
ですから進次郎も日本人の血は一滴も入ってません。
関東学院大学経済学部卒業(偏差値37.5〜40)
その後、親の七光り裏口コネ入学コロンビア大学
その見返りが、アメリカ工作員日本売国破壊活動員。
情報社会の現在メッキは、すでに剝がれてますよ。
こんな売国893小泉一家を日本国に居させてはならない。
母国、朝鮮半島に帰ってもらいましょう。
日本人の為の日本をのこしましょう。
(exciteブログより)
11:アメーバブログより 3/8 12:40 ??? “小泉純一郎の出自。父は朝鮮部落出身で母はヤクザの娘”
いわゆる在日朝鮮人よりも古い時代に
薩摩藩に渡来した朝鮮人。
それが小泉純一郎と小泉進次郎の祖先。
祖父: 小泉純也 純粋朝鮮人部落の血脈
父: 小泉純一郎
朝鮮人✕日本人任侠の娘=朝鮮人ハーフ
小泉進次郎
朝鮮人ハーフ✕日本人=朝鮮人クォーター
以下、引用です
//////////////////
彼は、あっさりと、小泉純也朝鮮人説を肯定した。
いささか、拍子抜けした。
伏「有難う。疑問が氷解したよ。」
東「なに、地元では公然の秘密さ(笑)小泉が総理になってからは、タブー化しつつあるけどね。」
伏「と言うことは、純也は在日朝鮮人なの?」
東「いわゆる、「在日朝鮮人」とは違う。公式記録によると小泉純也は1904年生まれだ。丁度日露戦争が勃発した年だよ。
「在日朝鮮人」とは、1910年の日韓併合後、大日本帝国の臣民となり、日本本土に移住してきた半島出身者で、1945年の日本敗戦で、大日本帝国が消滅した時に、日本国籍を失った人たちだよ。」
中略
僕も知り合いのフリーライターから聞いたけど、横須賀に行って、小泉家の事を取材するのは本当に命がけらしいよ。バックはもろ、稲川会だからね。
付近の住民も後難を恐れて、取材に協力してくれないし。あるベテランのライターがこぼしていたらしい。小泉純一郎の周辺を取材するのは、広域暴力団の山口組を取材するのと同じぐらい緊張するらしい。とても政治家の取材じゃないってさ(笑)」
伏「俺も鹿児島の加世田まで行って、純也のルーツを取材してみようかな」
東「やめとけ!やめとけ!誰もしゃべらん、絶対にしゃべらん。小泉がこの世に存在し、小泉の血をひくものが、国会議員をやってる間はね(笑)」
//////////////////
以上、
引用抜粋させていただきました
12:小泉純也=鮫島純也(薩摩・鹿児島) 3/8 12:49 ??? 小泉純也
日本の政治家(1904−1961)
小泉 純也(こいずみ じゅんや、旧姓名:鮫島 純也〈さめじま すみや〉、1904年〈明治37年〉1月24日 - 1969年〈昭和44年〉8月10日)は、日本の政治家。位階は正三位。
概要 生年月日, 出生地 ...
衆議院議員、防衛庁長官を務めた。通称、安保男(あんぽおとこ)。
衆議院副議長、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎の女婿。首相を務めた小泉純一郎の父。根津財閥の大番頭だった鮫島宗一郎は従兄弟。横須賀市議会議長をつとめた井料克己は甥。
生涯
生い立ち
鹿児島県川辺郡東加世田村大字小湊(後の万世町、加世田市、現・南さつま市加世田小湊)小松原地区の漁業・鮫島家に生まれた。父親の鮫島彌三左衛門は事業に失敗し、地元の鰹節工場に雇われていたが、純也が11歳の時に亡くなった。母親が三男六女を育てたが、家が貧しく純也の兄弟のうち3人は夭折している。当時の加世田地区は貧しい家庭が多く、殆どの子弟が出稼ぎなどに出ていた。純也も小学校を卒業すると、鹿児島市内に働きに出た。
学生時代
鹿児島実業学校の夜学に通いながら、市内にある呉服店山形屋(現在は百貨店)に勤務した。
学校を出ると朝鮮銀行に職を求め、お茶汲みをした。また、職工として大阪や神奈川・鶴見の旭硝子(現:AGC)工場で働いた。
代議士であった岩切重雄の書生となり、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、1930年に卒業した。岩切の紹介で立憲民政党の職員となる。そして同じ鹿児島県出身の議員、床次竹二郎の指導を得るようになった。
(Wikipediaより抜粋)
13:エンジョイブログより。@ 3/8 13:1 ??? 【小泉元首相の祖父はヤクザで実家は暴力団 『小泉組』 だった】
戦前大臣を務めた祖父「小泉又次郎」は純粋な日本人とされる。
だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り又次郎の
娘をたぶらかして婿として小泉家に入る
そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた。
父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる
日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、朝鮮名が書かれてい
るという。
純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス
製薬創業者の孫
小泉の元秘書官の名前は飯島勲
小泉純一郎は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
小泉元首相の真実 その1 ー父親は朝鮮人ー
小泉元首相の父 小泉純也は、朝鮮人です
2007年度、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『小泉純也』 (小泉純一郎の父)
鹿児島県川辺郡東加世田村小湊字小松原(現・南さつま市)出
身
実父は在日朝鮮人
家が貧しかったため、小学校を出ると鹿児島市内に出て、山形
屋百貨店の丁稚となり、夜は鹿児島実業に通った。
代議士岩切茂雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学
に通わせてもらい、1930年に卒業。
岩切の紹介で立憲民政党の職員となり、当時民政党の幹事長を務
めていた小泉又次郎のもとに出入りし、それが縁となり小泉家の
家族と接するようになった。
やがて小泉家に出入りするうちに又次郎の長女・芳江と恋仲にな
る。
14:エンジョイブログより。A 3/8 13:4 ??? 二人の恋愛に又次郎は反対だったが、純也と芳江は又次郎の反対
を押し切り駆け落ち同然に家を出て、東京・青山の同潤会アパー
トで同棲。
結局、又次郎のほうが折れて純也が代議士になれたら一緒にな
ることを許すとして認めることになった。
娘、芳江が朝鮮人の純也とかけ落ちしたときの話
又次郎(小泉の母方祖父)は『帰って来い』と、新聞の尋ね
人欄に広告までだしている(梅田功 『変革者 小泉家の3人の
男たち』87頁)。
純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は
「本当に大変だったんです。
なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。
芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコ
ロなんです。
又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思ってい
たんでしょう、すごく反対して怒ってました。」と述べてい
る(佐野眞一著『小泉純一郎-血脈の王朝』148頁)。
15:エンジョイブログより。B 3/8 13:5 ??? 小泉純也をよく知る人の本
歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代
に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。
純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長
官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿
になって選挙区まで受け継いだ。
日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だ
った小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮
人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことが
わかった
小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の
訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』
の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らか
になった。
歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、
在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首
相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわ
る小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、
日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景
と決して無縁ではない」と主張した。
歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と
社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結
成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、
岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。
以上が、父親のことです。
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