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秋田県はサイテーな県 |ω・`)チラ

9 :東北の裏切り者=秋田藩主:佐竹氏 :2025/04/13(日) 19:51 ID:???
戊辰戦争の遺恨 仙台藩と久保田藩
豆知識

2016.06.15 2010.07.14

こちらの本に興味深い記事がありました。


戊辰戦争を歩く―幕末維新歴史探訪の旅

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現在の秋田県にあった久保田藩と仙台藩の間で、戊辰戦争時に起こった出来事が火種になり、現代でも遺恨が残っているとしています。

そのいきさつは次の通りです。

両藩とも列藩同盟に加入していたのですが、久保田藩領内に薩摩・長州などの軍隊が入り込み、使者を使って新政府側に寝返るように圧力を掛けてきます。

首根っこを押さえられて、久保田藩の藩論はグラグラ揺れます。

これに対して、列藩同盟の盟主であった仙台藩は、10人余りの藩士を久保田藩に派遣し、こちらも武力をチラつかせて寝返らないように圧力を掛けてくるんですね。

両軍の板挟みになり、藩内で緊急会議が開かれるのですが、最終的には領内に新政府軍が入り込んでいた事が決め手となり、列藩同盟を離脱する事になります。

この後に事件が起きるのですが、薩摩藩の参謀、大山格之介が久保田藩の若い藩士達をそそのかします。

「仙台藩の使者は、実は刺客である」と吹き込み、彼らはそれを信じて仙台藩の使者達を斬り殺し、首を城下に晒してしまうんです。

これに猛烈に怒った仙台藩は、久保田藩に兵を送り、列藩同盟は瓦解の道を辿る訳です。

この時から現代に到るまで、まだ両者のわだかまりが残っているのだそうです。

10年位前に、秋田県角館市で「戊辰戦争百三十年in角館」というイベントがあったそうなのですが、座談会で各市の市長が集まる事になり、その席上で当時の白石市長が「戊辰戦争に破れたのは秋田の裏切のせいであり、それが無ければ我々同盟軍が勝利していた」というような事を発言されたそうです。

これに対して、当時の秋田市長は「我々は間違っていない。正しい選択をした」と反論されて、会場が騒然としたそうです。

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