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秋田人口減や労働者減は佐竹のせい

1 :無能佐竹が引き起こした16年 :2025/08/11(月) 17:10 ID:???
秋田県の人口減少対策に強く想うこと

 ――秋田県の人口が減少していることを、率直にどう見ているのか。

 県全体が人口減少、経済縮小の波に乗っています。しかし、こうした人口減少は以前から予想されていたことです。対策は行ってきているのだと思いますが、十分ではないと思っています。

 今年の4月、国内の労働力不足を報じる新聞記事をたまたま見る機会がありました。2024年の生産年齢人口が2008年比でどれぐらいの割合で増減しているかを、都道府県別に算出したものです。その表を見ると、なんと秋田県は全国ワースト、47都道府県の中で唯一30%以上のマイナスでした。

 これは、県内の将来を担う若い人から働き盛りの人までの幅広い年代が、約16年間で県外に大量流出した可能性があるということですから、ショックは大きかったです。驚くべきことに、この比較対象の期間が、2009年に就任して今年4月に退任された佐竹敬久前秋田県知事の任期中とほぼ重なっていることがわかり、何とも言えない気持ちになってしまいました。

 この16年間の秋田県の人口減少政策の成果は、ゼロどころかマイナスであった可能性があることが、この統計から読み取ることもできます。もちろん、これは前知事だけのせいではありません。前知事とこれまで対峙してきた、県議会議員のみなさんにも同じく責任があるのではないかと思います。

8 :裏切り者の佐竹の末路w :2025/08/13(水) 04:19 ID:???
戊辰戦争で佐竹が裏切らなければ、秋田藩内は戦火に見舞われる事もなく、また薩長は初めから自分達は東北に進軍するより、東北の藩同士で潰し合う策略を練っていたため、第12代秋田藩主の佐竹義堯は、薩長の良いカモにされた。
挙げ句の果てに報酬は、鹿角地方(陸中南部領)と僅かな金一封のみ。
藩内が戦場と化し、大火に見舞われた秋田藩は、佐竹のせいで明治以降、莫大な借金を背負う事になった。

9 :白虎隊(会津藩) :2025/08/13(水) 04:28 ID:???
さらに、秋田藩主の佐竹氏が奥羽越列藩同盟を裏切って薩長に寝返ったため、東北の中でも、秋田だけが孤立する事になり、今でも、南部藩・仙台藩、庄内藩・上山藩・米沢藩・会津藩などがあった東北4県と、秋田県は非常に仲が悪く、今でも裏切り者の秋田藩主・佐竹氏を恨む声も根強い。

10 :宿敵は秋田の佐竹へ :2025/08/13(水) 04:33 ID:???
【戊辰戦争の遺恨 仙台藩と久保田藩】

現在の秋田県にあった久保田藩と仙台藩の間で、戊辰戦争時に起こった出来事が火種になり、現代でも遺恨が残っているとしています。

そのいきさつは次の通りです。

両藩とも列藩同盟に加入していたのですが、久保田藩領内に薩摩・長州などの軍隊が入り込み、使者を使って新政府側に寝返るように圧力を掛けてきます。

首根っこを押さえられて、久保田藩の藩論はグラグラ揺れます。

これに対して、列藩同盟の盟主であった仙台藩は、10人余りの藩士を久保田藩に派遣し、こちらも武力をチラつかせて寝返らないように圧力を掛けてくるんですね。

両軍の板挟みになり、藩内で緊急会議が開かれるのですが、最終的には領内に新政府軍が入り込んでいた事が決め手となり、列藩同盟を離脱する事になります。

この後に事件が起きるのですが、薩摩藩の参謀、大山格之介が久保田藩の若い藩士達をそそのかします。

「仙台藩の使者は、実は刺客である」と吹き込み、彼らはそれを信じて仙台藩の使者達を斬り殺し、首を城下に晒してしまうんです。

これに猛烈に怒った仙台藩は、久保田藩に兵を送り、列藩同盟は瓦解の道を辿る訳です。

この時から現代に到るまで、まだ両者のわだかまりが残っているのだそうです。

10年位前に、秋田県角館市で「戊辰戦争百三十年in角館」というイベントがあったそうなのですが、座談会で各市の市長が集まる事になり、その席上で当時の白石市長が「戊辰戦争に破れたのは秋田の裏切のせいであり、それが無ければ我々同盟軍が勝利していた」というような事を発言されたそうです。

11 :秋田県人 :2025/08/13(水) 16:31 ID:qMIIrbn6
https://i.imgur.com/YYDX2Zk.jpeg

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