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秋田県北板@秋田ring

懐かしの県北風景
385: 9/18 17:48
>>384
アンカの向き逆だし(泣)。すると北金岡=森岳間ではなく、東能代と北金岡の中間だったかもしれません
386: 9/21 17:12
急行日本海で東能代から京都、大阪、奈良、三泊してからギュウギュウ詰夜行鈍行で沼津着、
観光バスで下田へ、翌日東京都内へ。翌日観光バスで都内巡り、東京観光という会社の観光バスの
バスガイドさん美人なこととやはり東京は東京タワーです。この二点が思い出になっていて、極めつきは
帰り、上野駅から青森行の鈍行列車で17時間かけて能代着。
素晴らしい修学旅行だったと父が申しておりました。
なにが韓国への修学旅行だ!行くんだったら鈍行で行け!
387: 9/22 12:0
↑急行津軽じゃなかったんだ?難行だったね
388: 9/22 17:17
>>387
貧乏学生だったので、帰省時はたいがい津軽でしたね。上野=秋田間立ちっ放しだったこともありました
389: 9/23 9:46
高校は圧倒的に男子が多く3年間女子と話した記憶がないほど女ッけなしの
高校生活でしたが、最後に花がありました。大学受験で上京、帰りは上野から
急行津軽に乗りました。4人がけのボックス席で一緒になったのは皆女性。
横手城南高校、秋田北高、能代北高、と女学校ばかり。
良い香りのする高校生活最後の華でした。
390: 9/23 10:30
いやー、やはり皆さん古の思い出となると「急行津軽」の話になりますね!
388の方のように、座る席もなく立ったまま夜行にゆられて…
その頃の記憶と言えば、自由席の床に新聞紙を敷いて寝ている人も数多く
見られましたね。
当時はトイレ 略1
391: 9/23 13:25
急行津軽、懐かしいですね。よく親父が東京に出稼ぎ行ってて正月前に急行津軽で帰って来ていました。雷おこし片手に!
392: 10/8 14:55
2年前父の七回忌で晩秋の能代に帰省した。
寝台特急あけぼのを降りると懐かしい潮の香りが微かにして、タクシーで風の松原まで
行ってみた。小松原には真赤にグミの実が熟していて海岸に出て青い海を見ていると
水平線の彼方に一条の線が現れ近づいてきた。それは白鳥の群れであった。
陽光に輝き、綺麗な編隊を組んで市内の方向に飛び去っていった。
その夜久しぶりに実家の布団に潜り込んだ。
朝方ドンっと砂浜に波の砕ける遠い音で目が覚めた。
393: 1/27 16:42
材木を筏に組んで筏師が操って下っていた時代は大水で橋が流されて長期間迂回させられたね〜
394: 1/27 23:8
懐かしいですね〜。あの頃は、自動車も少なかった時代でしたね。中国みたいに、自転車で通勤していた時代でしたね。
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