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秋田県北板@秋田ring

懐かしの県北風景
91: 1/3 19:50
夜店といえば射的

射的で怖いお兄さんを本気で怒らせてしまった話

コルクの玉って軽い

「水分を含ませて飛ばせば大概の物は倒れる」

当時月刊誌で定期購読してた中3時代って本(因みに中3コースってのもあった)の中に

夜店の戦略方
略35
92: 1/4 0:59
能代の夜店、昔は柳町から畠町〜駅前までずーっと店が出てて盛大に盛り上がってた気がする。
タコが入ってないタコ焼き、輪が入りそうにない景品ばかりの輪投げ、箱が色あせた豪華景品がぶら下がる運試しなどなど胡散臭さも盛大だったが、オレらガキ連にはとても楽しいイベントだった。
今は本業のテキ屋を締め出して規模も縮小したと聞くが、商店街主催の清く正しい夜店ばかりになったのだろうか。
それはそれでいいんだろうが、今の子供は>>90,91のような貴重な社会勉強の機会を失ったのでは?とも思えるなぁ。
93: 1/4 1:44
>>92
同意
輪が引っ掛かり、オッチャンに言うと「ちゃんと通るよ」ってトロフィーの上からクネクネ通して「ほら!」って…
裸体が印刷されたオイルライターに輪がハマると「見てなかったからダメ」や「子供はダメ」など言われて

頭にきたから型抜きをT町の祭りで買って、時間掛けた完成型をA町の祭りで「オッチャン、出来たぁ」って渡してお金貰ったりしてたし
金魚すくいでも「あのオッチャンは見てなかったって言う」「あのオバチャンは、すくえなくてもオマケをくれる」など情報交換したり、知恵を使ったなあ。
94: 1/4 2:11
たっぺの坂の途中に『婆の店』が昔あった。恐ろしく狭い店内だった。店に入ると奥の部屋にしかめ顔の婆の姿があった。子供用のバケツには水が入っていてそれにラムネが数本入っていた。婆なりの冷やし方だったんだろうが時間帯で直射日光がギンギン当たる場所に置いてたもんだから温くなっていた。それでも飲みたくなって買ってラムネの中の玉を押し入れると半分以上?が泡で溢れ出て実質飲める分は三分の一くらいだった。少ない小遣いで色々な物が安く買えたあの頃が懐かしい。
95: 1/4 17:49
幼少の頃、中和通りに住んでいた
今の中和通りみたいな道幅はなく
舗装もされていない凸凹の道
晴れた日は行き交う車の土埃が舞い
定時には散水車が来て水を撒く
その濡れた土路面が太陽に照らされ
散水車が撒いた水が蒸発するときの
あの土臭さ?が今では懐かしい
時おり馬車馬を引いて老人が歩いてきて
毎回決まった場所にその馬が止まりウ〇コをしていた
そのウ〇コは誰が片付ける事もなく
略19
96: 1/4 19:20
>>94
ババ店のババは売り物の酢イカで湯づけ食べてた
赤い塗り箸でww
97: 1/4 19:36
>>96
そうだったんですか。そこんとこは見れなかったなぁ残念。50円玉握りしめてあの店行くのが何故か楽しみだったなぁ。
98: 1/4 20:54
鹿角市の錦木にあった「とおるちゃん」(駄菓子屋)。
行くといつもオバちゃんが手持ちの額を聞いてきて、
その額で何が買えるのかを買うまで教えてくれたっけ…。
『100円?100円だとね、このうまい棒は10円ね!
押し箱は○○円で…どんぐりガムとかここのは全部10円ね!…』

店の奥は確かインベーダーゲームみたいのが置いてあった気がする…。
懐かしいな…。あのオバちゃんは、まだ生きているんだろうか。
お店はとうの昔に無くなっちゃったけど…。
99: 1/4 21:18
ババ店(駄菓子屋)、減った…とゆーか絶滅状態だよなぁ。
俺は能代だが、中和通りにあった通称「もんちゃや」を愛用していた。
ゴチャッと並ぶ5円、10円のショボい菓子や怪しいクジを前に、手持ちの少ない小遣いで如何に多く、バラエティーに富んだ買い物をできるかを繰り返し計算しまくったもんだ。
店番のバーさんはいつもニコニコしながら、俺の真剣勝負を眺めていた。
あのバーさんも亡くなって30年ぐらい経つか…
100: 1/5 0:36
そぅそぅ
量より数だった
1-

001-051-101-151-201-
251-301-351-401-451-
501-551-601-651-701-
751-801-851-
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